【エグすぎ…!】スキーブーム期の人気スキー場の来場者数記録がヤバすぎた…!
皆さんこんにちは!
ゲレンデVTuberのナオキです!
さて今回のテーマは…
スキーブーム時の来場者数記録を調べてみた!
ということで今回はスキーブームでスキー場への来場者数が一番多かった1993年と1994年に記録が残っていた中でも特にエグかったスキー場14選をご紹介します!
数字はネットに残っていたものと、当時の雑誌のデータから持って来ています。
※詳細の内容は情報が無いものも多かったので一部予想も含まれていることはご了承下さい。
ハンターマウンテン塩原|756130人
1993年:756,130人
近くの那須町大島のスキー場
マウントジーンズ那須が94年にオープンし、かなり追い風になったシーズンでした!
バブル期に着工されバブル崩壊後に廃業した「ポスト・バブルスキー場」の一つです。
初めは丸紅が出資する第三セクターが運営していましたが2005年に東急リゾーツが引き継ぎました。
運営開始以来、ピーク時には約149,000人の利用者を記録しましたが近年はコロナの影響もあり利用者数は減少傾向にありました…
2022-23年シーズンでも約65,000人が来場し営業利益は減少傾向にあったものの黒字は維持していました。
しかし将来的な見通しが厳しいため閉鎖を決定しハンターマウンテン塩原に一本化されました。
上越国際スキー場|770000人
1994年:770,000人
正月三が日だけで13万人の来場を記録し
スキーブームの影響でスキー場も多くのイベントやキャンペーンを実施しました。
この年の好況な記録はその後の経営戦略やマーケティング活動にも大きな影響を与えました!
豊富な積雪量と長いスキーシーズンを活かして多くのスキーヤーや観光客を誘致しました!
エイブル白馬五竜&47|776,090人
1994年:776,090人
もはやデータしか残っていないため当時の白馬五竜の盛況の詳細は不明ですが現在、エイブル白馬五竜という名称ですが94年には五竜とおみスキー場でした。
その後の97年に白馬五竜スキー場に2017年にエイブル白馬五竜となりました。
この年に日本ケーブルより国内初の固定循環式4人乗りのチェアリフトを開発し五竜に建設されました。
もし他にも94年当時の五竜の状況をご存知の方や直に体験したことがある方は是非コメントで教えて下さい!
草津温泉スキー場|814,675人
1994年:814,675人
1994年の草津温泉スキー場もピークの来場者数を記録しました!
その後は残念ながら…
1995年には約63万人
1996年には約50万人
と大きく右肩下がりにはなってしまいました
ですが近年の来場者数は回復傾向にあり特に2020年代に入ってからは観光客の増加が見られています。
2023年度には県内のスキー場全体で利用者数が前年を上回る傾向がありました。
このように草津温泉スキー場の来場者数は1994年のピークから減少を経て最近では回復の兆しもあり、スキー場の魅力や観光施策が影響を与えていると考えられます。
岩原スキー場|913,100人
1994年:913,100人
2023/24シーズンの岩原スキー場の利用者数は255,000人だったのでこちらも現在は4分の1くらいになりました。
2023/24シーズンの1位の志賀高原が87万人でダントツでしたが…既に岩原スキー場の単体で超えてしまっています…(笑)
岩原スキー場は
初心者やファミリーに特に人気があります。
1931年に開設され現在は株式会社ライフスタイルサービスが経営しています。
スキー場は飯士山の中腹に広がり初心者から上級者まで楽しめる多様なコースが整備されています。
コースの難易度は初級者向けが40%・中級者40%・上級者20%となっており、特に初心者向けの緩やかな斜面が多く家族連れや初めてスキーをする人にも適しています!
石打丸山スキー場|923,100人
1994年:923,100人
この時期には石打丸山スキー場はGALA湯沢スキー場と湯沢高原スキー場との間にゴンドラやリフトが設置され連絡コースの開発が進んでいました。
またこうして3つのスキー場が繋がることで「三山共通リフト券」が発売されました。
この共通リフト券を利用することで隣接するスキー場も含めて多彩なコースを滑ることができ、これがリピーターを増やす効果を生んでいました!
また観光産業も活発で
宿泊施設や飲食店も今以上に充実していました!
神立高原スキー場|1,000,400人
1994年:1,000,400人
1994年の神立高原スキー場はバブル経済期の影響を受けて1986年に開業したスキー場であり、当時から多くのスキーヤーを惹きつけていました。
94年には神立高原スキー場は特に夜行日帰り客をターゲットにした営業スタイルで知られており、早朝5時30分から営業を開始し金曜日と土曜日にはナイター営業を午前4時まで延長していました。
このような営業時間の長さは他のスキー場と完全に差別化されており
「西のびわ湖バレイ、東の神立」
と称されるほどでした。
1994年には神立高原スキー場は来場者数が100万人に達しバブル経済期の人気スキー場として位置づけられていました。
このように、
94年は神立高原スキー場にとってピークとも言える年であり、その後の経営状況への影響が見られる重要な時期でした。
ニセコ グランヒラフ|1,120,000人
1993年:1,120,000人
当時は現在のような海外からのインバウンドバブルも無く国内旅行客が中心にもかかわらず、これだけの来場者数を誇っていました!
この年にニセコ高原観光は電子リフトチケットシステム「ニセコフリーパスポートシステム」を導入しました!
さらに「ニセコ東急ゴルフコース」がオープンしリゾートとしての多様性が増しました。
また「ニセコひらふ花園スキー場」もオープンしスキーエリアの拡大が図られました。
ひらふの(高原と花園)、東山、アンヌプリの4つのスキー場が一体化しました。
これによりスキー愛好者は共通リフト券を利用し広大なエリアを自由に滑走できるようになりました。
このシステムの導入はニセコエリアのスキー体験をより魅力的にし多くの観光客を引き寄せました。
赤倉温泉スキー場|1,367,265人
1994年:1,367,265人
赤倉温泉は全国的にもかなりの豪雪地帯になる新潟県妙高市にあり、雪質は抜群でそのパウダースノーに国内外問わず多くの人が集まりました。
さらに当時は現在よりリフトの数と滑れるエリアが広く現在の全国人気ランキングで上位に入るようなスキー場にも肩を並べるくらいのリゾートとしてスキーバブルの代表的なスキー場でした!
赤倉温泉は名前の通り100年以上続く歴史のある温泉地でスキー場の麓は温泉街になっているのですが、現地の人に実際に聞いた話だとバブルの頃はリフト待ちの行列が麓の温泉街にまで及んでいたそうです…
今考えると非常に恐ろしいです(笑)
安比高原スキー場|1,398,150人
1994年:1,398,150人
安比高原スキー場は1981年
リクルート創業者の江副浩正(えぞえひろまさ)氏が開発を手掛けて開業しました。
その後も設備やサービスが充実して1994年にもスキー場内で様々なイベントや大会が開催され多くの観光客が訪れていました。
安比はその広大なゲレンデと多様なコースで知られ初心者から上級者まで楽しめる環境が整っています。
ちなみに1995年にスノーボードが一部のコースで解禁されたという情報があるので
逆に言うとスキー客だけでこの約140万人の来場者数というのがびっくりの記録ですね!
白馬八方尾根スキー場|1,440,000人
1993年:1,440,000人
スキーバブル期のスキー場の象徴
白馬八方尾根スキー場が登場です!
2023/24シーズンには352,161人なのでなんと現在の約4倍を記録しました。
まず当時の大きなトピックとしては1998年の冬季オリンピックでスキー熱が高まる中で八方尾根も会場の一つに選ばれたことで世界から注目を浴びたシーズンになりました!
その影響もあってか93年には外国人観光客も増加し国際的なスキーリゾートとしての地位も強化することができました!
ゲレンデ規模や設備も充実し多くのイベントや大会が開催されるなど活気に満ちた一年だったようです。
またこの年に白馬八方温泉の引湯工事が進められ地域内の約100戸に温泉が供給されることになりました。
白馬八方温泉は県内有数の温泉地としての地位も確立しています。
このように1993年は白馬八方尾根スキー場にとって歴史的な転換点となり、温泉開発と観光業の発展が相まって地域全体の活性化につながった年でした。
蔵王温泉スキー場|1,580,000人
1993年:1,580,000人
日本最大級の樹氷原が広がるスポットとして知られる蔵王。
特に冬季には美しい樹氷が見られます。
もちろん1993年でも例外ではなく多くの観光客がこの自然の美しさを楽しむために訪れました。
スキー場は、初心者から上級者まで楽しめる多様なコースを提供しており、特に樹氷原コースはその美しさから多くの人々に愛されていました。
1993年に「プチリゾートホテル デァヴェルテ」が開業しゲレンデに隣接した宿泊施設として注目を集めました。
この頃の蔵王は観光資源が豊富でありながらも1992/93シーズンの158万人をピークにその後は利用者数が減少傾向にあったことも影響していました。
2004/05シーズンには60万人の利用にとどまったというデータもあります。
苗場スキー場|3,000,000人
1993年:3,000,000人
トップはダントツの300万人を記録した苗場スキー場でした!
スキーブームの全盛期、鉄道系スキー場の主役といえば何といっても苗場スキー場です!
当時は苗場プリンスホテルに宿泊して苗場スキー場でスキーをすることはスキーヤーの憧れだったのです!
ゲレンデに押し寄せる大量のスキーヤーをさばくために高速リフトやゴンドラが次々と造られたのもこの時期でした。
1993年には「第8高速リフト」、「白樺平第2ロマンスリフト」が新設されました!
この時期には苗場ではスノーボードが全面禁止されていたにも関わらずこれだけの来場者数を誇っていたことがその凄まじさを物語っています!
ただ翌年の94年には道路を挟んで隣接する浅貝スキー場を買収し苗場の別ゲレンデになりました。
その際にスノーボードを開放したことによりスノーボード愛好者も楽しめる環境が整い、現在の苗場につながっています!
志賀高原|3,000,000人
1993年:3,000,000人
93年でも一位は同じく志賀高原がランクインしていました!
中でも特に焼額山スキー場はこの時期に大きな発展を遂げてリフトやコースの整備が進みました。
志賀高原全体では1993年に自動ゲートシステムが導入され、全リフトとゴンドラにゲートが設置されるなど利便性が大きく向上しました
また、この年は1998年に控えた長野オリンピックの準備が進められており志賀高原もその影響を受けました。
1993年以降スキーブームは徐々に落ち着きを見せることになりますが、この年は志賀高原のスキー場が最も賑わった時期の一つとして記憶されています。
多くのスキーヤーがこの美しい雪山を楽しみながらもその後の冬季オリンピックへの期待感も高まっていました!
【まとめ】スキーブーム期の人気スキー場の来場者数記録
ということで
いかがでしたでしょうか?
今では87万人がトップのスキー場ですがバブル期には100万人超えの記録がバンバン出ていたのを見ると当時のスキーブームの凄まじさを実感できますね!
それでは今回は以上になります!
今後もシーズンが楽しみになるようなゲレンデ特集をお届けしていきますので是非また次回もご覧下さい!
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それではまた次回にお会いしましょう!